平成7年、創業30周年・節目の記念事業
新社屋・竣工 あれから10年
難攻不落「人は石垣 人は城」
11月7日、盛大にパーティ開催
昭和61年8月、創業20周年を記念して、本社社屋をこの浮間の地に構えて10年が経過した。それ以後の10年間は躍進に継ぐ躍進、フィルム包装機第一号が導入され、いわゆる真空パック(シュリンク包装)が新しい営業展開に大きく貢献した。
提案型営業のはしりである。労働集約型から装置集約型への転換期でもあった。
雑誌専用のフィルム包装機(Mゼット包装機)も既に稼動していた。それらに加え、加工費による売上確保に汲々としていた収益構造を大きく改善し、お得意先様の配送経費の削減に寄与したのが、「P&Dシステム」の開発である。
宅配業務が、運送事業の新商品として開発され、旧来国鉄の小荷物や郵便小包を中心に配送してきたシステムが、大手運送会社の輸送品質の向上に後押しされた形で「宅配便」が普及し始めた頃である。
夢の3階建て新社屋500坪
その先頭にたっていたのが、ヤマト宅急便であった。
私どもは西濃運輸との業務提携を中心に郵便小包をターゲットに、梱包料と配送費をセットにして全国一律一個1000円を合言葉に、積極的に営業展開し大口得意先との取引を開始させていただくことになった。
その間に、私どもの最大手のお得意先様にご提案申し上げた「フィルム包装やP&Dシステム」は順調に軌道にのり、それ以後確実に業績を伸ばし浦和工場をオープンさせることになった。
浮間本社と浦和工場でしばらくの間、業務を処理しておりましたが、いわゆる販売管理費等の削減も含めて、本社の隣接地に工場統合の気運が高まり一気に新社屋竣工という私どもにとっては、大きな夢の実現に奔走し、めでたく平成7年11月7日に創業30周年記念事業として、3階建て500坪の新社屋の竣工に到りました。
式典には、多くのお得意先様のご臨席を賜わり、賑々しく華やかに執り行えたことを今も誇りに感じております。
「昭和61年~平成7年」
その間の10年間は、いわゆるバブル期でもあり弊社にとっても拡大路線が果てしなく続くような錯覚の時期でもあったと思います。
異業種にも進出いたしました。
結果として、まもなく創業社長は勇退し新社長として私が事業継承していくことになったわけですが、今振り返ってみれば、「失われた10年」といわれるこの期間に、私自身もかなり鍛えられ、多くのことを学ばせていただいたと感謝いたしております。
それらのことが、今日の厳しい経営環境の中で、「時代を見据え新思考を創造」し企業経営に関わらせていただく源泉にもなっていると、確信さえ持たせて頂いております。
私達に課せられた、これからの課題
さて、時は過ぎ平成17年11月1日から二週間、中間管理職の意識改革と行動力基本動作を徹底して学ぶ為に、廣澤マネージャーが富士の研修道場に出発いたします。
荒くれで、世間とのかかわりを持たずに弊社に入社して7年、中間管理職として努力してきましたが、将来を見据えさらに立派に成長できるようにとの思いから、計画致しました。
社長就任から既に8年になりますが、新卒採用・中途採用と人材の確保に努力し成果をあげてまいりましたが、結局のところ企業は人なり。
難攻不落の城もまた「人は石垣人は城」これからますます厳しくなる市場にあって、事業を確実にしていく為にも、人材育成に視点を向け、更なる事業発展に挑んでいきたいと決意いたしております。
近隣のみなさまとのお付き合いも、既に20年のながきになりますが、ますますこの地で地域貢献にも努めていかなければなりません。
「儲ける条件とは、信用あるものにのみ与えられた特権である」
残された二ヶ月間、こころして精進いたしましょう。
代表取締役 廣澤 三夫