人生・笑顔に勝るもの無し

昭和27年小学校入学。 大変懐かしい当時の写真を貼付してみました
小学1年生 中には着物を着ていた子もいる 55年前の貴重な写真です。

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34世帯という小さな部落だったために、同級生はたったの三人
本当は4人だったが、一人の子が一週間ぐらい親に引率されながら
登校したものの、どうしても学校に馴じめず結局、1年浪人・・・
よくはわかりませんが・・・・早生まれが要因だったのかも?

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           運動会でのスナップ    ベレー帽がお似合い   実行委員として活躍

5月生まれの私は、他の生徒より少し体格が良かった
多分、体力も知識も経験も豊富だったのでしょう?

リーダー的存在になるのに、そんなに長い時間はかからなかった

振り返ってみれば、5人兄弟の末っ子だったこともあり、根っからの明るさは、
仲間や先生に取入ることも、そんなに難しいことではなかったような気がする

高学年の運動会 イメージ 5  イメージ 7 野球部で奮闘
             運動会のシンボル     「中部班決勝大会」         

上野合小学校、上野合中学校とも既に廃校になってしまったが、
そこでの想いでは、書いても書いても書ききれないぐらい詰まっている

その中でも「学芸会と運動会」は、私の財産にもなっている
そこで受けた薫陶が、今日の伽羅の原点のような気がしてならない・・・・・

学芸会では、
ないしょナイショのお遊戯・かぐや姫のおじいさん役
竹取物語のおじいさん役・舌きりすずめのおじいさん役
アリババと40人の盗賊・風の又三郎・その他

運動会でも活躍させて頂いた、徒競走・パン喰い競争・買い物競争
球入れや騎馬戦・低学年の誘導など高学年では、運動会全体も仕切らせていただいた

お昼休み家族と一緒に頂いた昼食・親の喜ぶ顔が今でもよみがえってくる

なんと言っても圧巻だったのは、部落対抗リレーで全校制覇した事

小さな部落のリーダーとしての悩みは、「小1~中3」までの男女を揃える事
それでも、我が部落になんとしても栄冠を持って来たいとの思いから、
夏休みを返上して、部落の小・中の生徒をかき集めてリレーの練習に励んだ

勝つポイントは、バトンを確実に次の走者に渡すこと

練習しても、中々思うようにバトンが渡らない
悩んだ結果、気がついたことは前の走者の手がぶれる事
腰にきちっと手を置く事で、難題を解決する事が出来た

大きい部落では、男女2名×9学年=18名がきちっと揃っている
本来の選手構成であるはずが、部落が小さいためにメンバーが揃わない

仕方がないので、男女と学年を超えてチーム編成をした
その時の主役・4年生の上野加代ちゃんは4年生の男性役
大川君には5年生でありながら6年生役を担当してもらった

結果は、バトンを一度も落とす事無く見事に「優勝の栄冠」を持って帰ることが出来た。

部落では、大騒ぎになった。部落で初めての大金星、見事な結果に大感激
増山地区の世話人だった父親から、立派なご褒美を頂いた

「少年団旗と野球道具一式」とんでもない快挙として誉められ、歴史に残る事になった
今はない、入賞してノートを頂くことの快感は、「頑張ることの源」なのかも・・・・・

その時の自信が、現在の私の伽羅の原点になっているような気がしてならない

小学校時代に育まれた自信は、各担任の先生や仲間とのふれあいの中で、
「明るく・元気に・前向きに」をモットウにご指導いただいた9年間が、
我が人生の「すべての原点」として、感謝いたしております。

遠足の定番(日光東照宮)    イメージ 6    
中学1年生、当時13歳の時の写真             
その時の仲間に、小橋君がいる 町の総務部長を勤めた兵である
同窓会の取り纏め役であり、ゴルフ仲間としても大事な友人である
それ以外にも、田家君や松海・石田・洋子ちゃん・堀さん・井川さん
沢山の同窓生と、いまだにお付き合いをさせていただいている。

勝ちパターンを醸成し、そこで学んだ経験の積み重ねが自信となった

そして「人生・笑顔に勝るもの無し」
日々「笑顔で暮らす事」の大事さを、今更ながらに噛み締めている

義務教育を終了・社会人への第一歩
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はじめて写真館で撮った写真。

・・・・久しぶりに50年前を振り返ってみた
これも、最近始めたブログ効果かも・・・・・・

       還暦を記念しての同窓会
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       遊び心や風格も垣間見える