記念すべき誕生日
私にとって、この度の5月2日は記念すべき誕生日
昭和19年5月2日生まれの私に「介護保険被保険者証」が区役所から送付されてきた。
また、厚生年金の受給資格もゲット、近じか「老齢年金」が支給されることになった。
いよいよ高齢者への入り口に立つ、節目の誕生日を迎えることになった。
昭和35年に茨城をあとにして東京の通信機メーカーに就職をしてから丁度50年の歳月が・・・・
この間、人生の大きな節目に沢山の方たちにお世話になり、今日65歳の誕生日を迎えることになった。
現在の会社も、兄貴からの誘いを受けて立ち上げてすでに44周年
社長就任から12年が経過した「平成9年6月12日」就任以来走りに走り、家内からも誕生日の機会を通じてお手紙をいただいた。短い文章の中に心温まる励ましの言葉が沢山並んでいた。
思わず、顔に手を当て涙をこらえるのに必死であった「・・・・感謝 感謝」
私からは、私たちの結婚記念日でもある昭和47年4月30日の気持ちを短くまとめさせていただき、お手紙として手渡しをさせていただいた。「いつも微笑みを絶やすことなく、遠くから見守っていただいていることへの感謝の気持ち」を記させていただいた「・・・・・感謝 感謝」である。
思い起こせば、波乱万丈の65年間
思い起こせば、風雪に耐えながらの38年間
思い起こせば、風雪に耐えながらの38年間
ともに歩んできた人生、まさしく「人生いろいろ」
丁度、ゴールディンウィークに入る前の5月1日、行きつけのお店のママからご招待を受けた。
それに便乗させていただき会社の管理職10数名が、誕生日会を開いてくれることになった。
それに便乗させていただき会社の管理職10数名が、誕生日会を開いてくれることになった。
音頭をとってくれたのは営業部の山本課長、荒川室長 いつも私たち夫婦の事を気に留めてくれている気のいい両名である。それに呼応するように集まっていただいた。
私の還暦の祝は、新宿の歌舞伎町(目白の豪邸)で、沢山の外部の方たちにも駆けつけていただいた。
その時の感慨とは、また一味違うとてもアットホームで楽しい誕生日会になった。
将来必ずや「価値のある誕生日会」として、記憶に留める事になると確信している。
将来必ずや「価値のある誕生日会」として、記憶に留める事になると確信している。
特に、私の後継者でもある若手の管理職と呼吸を合わせる機会になったことも、私たち夫婦にはかなり意味のある誕生日会、そんな事もあり「飲めない酒」をかなり飲んでしまったようで、帰りがけは足元がふらっついていた。
いよいよ「・・・・晩年幸せになる」入り口に差し掛かった証の誕生日会
祝っていただいた皆さん、本当にありがとう
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