お盆休みを田舎で?

今年の夏は、前半はかなり暑い猛暑日が続き、中盤はゲリラ豪雨に日本中がてんやわんや 
そして四国地方は、100m~200mの降雨に苛まされ大荒れ 台風12号~11号に振り回された
 
折角の花火大会が中止、海水浴場も当てが外れて「台風憎し」例年よりもかなり厳しい状況
栃木県では、突風・・・竜巻? いずれにしても、専業農家は野菜までもが大きな被害にあった
 
イメージ 1
 
我が家で特別な出来事はありませんが、姉の連れ合いが4月に亡くなり、8月13~15日「新盆」
田舎ほど、大騒ぎをすることはありませんが、「兄弟一同」で、提灯をお供えさせて頂きました
 
姉が心労による体調不良?自治医科大大宮医療センターで検査を受ける事に、8月13日その
結果を聞きに行く事になり、末っ子の私がアッシー君を担当、蓮根の次女と節っちゃんと同行
その足で・・私達の実家~茨城の兄弟の所へ ご挨拶に伺う為、岩槻から北関東道で水戸へ
 
イメージ 2
 
水戸に嫁いだ姉夫婦 とにかくお元気です
義理の弟の葬儀参列の時のスナップ写真
  
かれこれ3時間 最初に伺ったのは水戸の姉の嫁ぎ先へ 息子や孫がにぎやかに談笑していた
そして、2時間が過ぎた 次は節っちゃんの実姉が嫁いだ大塚へ 既に亡くなった義兄の妹達が
山形から東北道を飛ばしてお墓参りに、長男の運転できたらしい 本当は自分で運転したかった
 
学校に長くお勤めしたようで、最近教え子たちの「48歳の同窓会」に参加されて盛り上がったとか
実は、私達も70歳の同窓会を開催したばっかりだったので・・・共通の話題でかなり盛り上がった
 
先生と生徒の関係は、茨城も山形も同じ 「先生 その節お世話になりました」悪ガキだったとか
私達も、先生がよく覚えてくれていたのは「悪だった生徒達」 いい子よりも記憶に残っている?
 
イメージ 3
 
大塚の姉の家族と義姉(右端の女性)
 
大塚の姉と節っちゃんは子供の頃から結構仲が良かったらしい あっという間に二時間がたった
 
次は、節っちゃんの実家 既に両親はなく義理姉と姪っこ その子供たち お婿さんは留守だった
飲み物や食べ物は、二か所でしっかりごちそうになったので・・・「恵子ちゃん 兎に角お腹一杯?
「スイカのおいしいのがあるので・・・」「すいませんね  恵子ちゃん」「とんでもございません」
 
「お義姉さんブラジルから大勢お見えになって 大変だったんじゃないですか?」「そう言葉がね~」
「私達も、翌日皇居でお会いして そのあと虎ノ門ヒルズで食事をして・・・・」「そのあと原宿へ
 
「とにかく賑やかでしたよ」「末っ子の女の子が、福井のM 製作所にお勤めなんですって・・・
「その子が、京都 東京 ディズニーランド 浅草 秋葉原 原宿 すべて案内したそうですね・・・」
 
イメージ 4
 
ブラジルからお見えになった節っちゃんの兄夫婦と子供と孫たち
私が、39年前にサンパウロに行った時 右側の長男は5歳でした
 
小一時間で、節っちゃんの実家をお暇して私の実家へ 「夜分にすいません・・・」「三夫さ~ん
80歳を過ぎた義姉が出迎えてくれた 80歳で長兄がなくなって3年 さすがに飾り付けが素晴らしい
 
実家の兄嫁と知り合って、もうすぐ60年が経過しますが、何となく心が通じているような気がします
それもそのはず、私が11歳の時にお嫁さんに来られた訳だから・・・初々しい花嫁さん・・・60年
子宝(一男一女)にも恵まれ、お陰様で長男は事業に成功し「町一番の養豚業を営んでいる 
 
ここも小一時間で席を立った 「帰りの渋滞に巻き込まれないうちに帰ろう・・・」「気をつけてね・・・」
自宅に着いてたのは、10時過ぎでした 15歳で東京へ あれから55年 部落で元気なのは数える程
 
イメージ 6 イメージ 5

 今は、集団的自衛権  55年前は安保条約改定 当時 私も国会議事堂へ 右も左もわからずに 安保反対?
 
先後69年、その当時疎開に来た方達も「とにかくB29が怖かった・・・」 こんな会話も昔の話になった
 
兎に角 暑い夏と交通渋滞 お盆もたったの一日でしたが、義理は果たせたと思っております
 

無題

Posted by 廣澤三夫