最後の日 彦根城・岐阜城~犬山城へ

2020年2月14日

令和2年2月2日に家を出てから4日目となるが、初めて挑んだ大河ドラマ「麒麟がくる」の追っかけ~「山陰地方の旅」私的には、かなりの冒険? そうは言っても「後期高齢者」今が青春とばかりに車を飛ばす BMW740dの走っぷりは凄い~自動運転などを活かしながら、快適に1400kmを走破した そして、今日からは「彦根城と岐阜城」を見る予定だが「少し気合が入っているって感じです」

彦根城に着いたのは朝日が城を照らす時間、城内に入って天守閣を写真に納めるという事は、最初つから念頭になかったので・・・写真も数枚撮っただけって感じでした

私が期待していた岐阜城まで、あと200km彦根市から名神高速を飛ばして約3時間程度だ

いきなり大河ドラマの「のぼり旗」に・・・さらにびっくりしたのはロープウエーで城を目指すという事 1520年代にこの山に城を作ろうという二階堂行政の発想力が凄い

その後、斎藤道三が住み、織田信長が(1567年)改修工事を行い、岐阜城と名を改めたとか

その歴史を辿りながら、最後は織田秀信が城主として籠城、その後福島正紀・池田照正などに攻められ岐阜城は落城し、秀信は降伏して出家した。その後高野山に送られ病死した。

所謂「群雄割拠」多くの武将が関わった岐阜城~見るものにその当時の凄まじさを感じさせる城として、私達の胸に迫って来る・・・現代の経営者たる私にも熟知たる思いが迫る

岐阜城の特徴と言うか 天守から濃尾平野を睨みながら、敵陣の様子を探る構図は、私達にも何かを示唆してくれているのかも・・・そして「天下布武」の朱印を用いていた信長に相応しいのではないか? 「暴を禁じ、戦をやめ、大を保ち、功を定め、民を案じ、衆を和し、財を豊かにする」という「七徳の武」により天下を治める、という事を信長が幼少のころに教育係として、その後参謀を務めた沢彦 宗恩が送った言葉と言われているそうです

最後は国宝犬山城へ・・・ここにも凄い歴史を辿るきっかけとなった素晴らしい逸話があった 現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」の一つであり、天守が国宝に指定された5城のうちの一つ、姫路城・松本城・彦根城・松江城だ

城跡は「犬山城蹟」として、国の史跡に指定されているようです 

最後の城跡「犬山城」を堪能して、東京に戻る事になったのだが、この度の一人旅と言うか? ドライブを楽しめた最大の理由は、4日間とも晴天に恵まれた事だったと思います

職場の皆さん「ありがとう そして 感謝」節っちゃんにも心配をおかけしましたが、それなりの成果がありました 今後の人生における大きなターニングポイントになったのではないか?  大阪OCSの皆さん・・・必ず伺います その節は宜しくお願いします

無題

Posted by 廣澤三夫