2021年2月25日 私は、卒業します。
このフレーズが誕生するまでには、それなりの理由があります。
昭和40年2月に創業した「廣澤梱包興行有限会社」創業者は私の実の兄貴ですが、国鉄に就職しながら肌合いというか? 縁故で入社したにも関わらず、数年で退社~東京の叔父のところに飛び込んだ。叔父は小さな運送事業を営んでおりましたので、即運転手として活躍
暫くして独立~小規模の印刷会社に重用され~お嫁さんも紹介された。4~5年で車両も三台に増やし、それなりの成果を出したところで「次の一手」に挑戦することを決意した。
印刷会社から運び出される商品は、お得意様に届ける事なく「梱包会社」にすべて納品される事に大きな関心を持った。「そうだ 梱包会社を興せば、この商品は必ず~取り扱う事になる」兄貴がそんな機会を用意しているともつゆ知らず、私は新宿の夜の街を・・・ジャズ喫茶などに通っていた。
薄給なため、こずかいをせびりに兄貴の下へ通っていたのだが、そこで運命的な事件が勃発した。
「俺は、梱包事業を始めるから、お前は事務方として手伝ってくれないか?」
あれから55年の歳月が流れ、私も昭和19年生まれの76歳~今年の5月2日には喜寿を迎えます。
これまでの人生の中で、こんなに「爽やかで 潔く そして・・・卒業」する事が出来るのも、第三世代の谷口社長が「次の50年100年企業を目指す⇒企業価値の最大化⇒皆が誇りを持てる企業づくり」と声高に言っている姿に「信頼と共感」を感じているからです。
併せて、私自身の中で昨年の株主総会で「専務職」を誕生させた事は、企業経営の肝として「チーム経営の一切」を託せるという確信を得たからでもあります。
私自身が、専務職にあこがれた国際電気時代、昭和35年4月~40年3月末までの5年間
日々の業務に没頭していながら、当時の専務の存在に心惹かれたのである。そして廣澤梱包興行株式会社の専務職に就いたのが、若干32歳の若者でした。その前年「ブラジル訪問」たった10日間で、私の意識は様変わり「退職を前提に渡伯が、この会社を守らなければ」と・・・
人生に必要な出会い
その後の私の活躍は、目を見張るものがありますが、特筆すべきは36歳の時に発した一言
「うるせぇ~黙ってろ!! 俺に任せろ!!」その当時、旺文社様からお預かりした「中一時代の拡材」全国の書店向けに配布する商品のセット作業の時に発した「覚悟の一言」でした。
以来、今日まで~その思いは一時も忘れる事はありませんでした。
そして、平成9年6月15日代表取締役社長に就任~数々の歴史を残しつつ、本日株式会社P&Dヒロサワを卒業いたします。この間のエピソードなどについては、既に社内報やブログなどに掲載しておりますので割愛しますが、本当に楽しい人生・企業経営に関わらせて頂いたことに感謝です。
「人生を支えてくれた多くの方との出会い・・・ありがとう感謝です」
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